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5. 高圧適応におけるTORC1の役割

高圧適応におけるTORC1の役割

 高圧感受性株のスクリーニングで得られた遺伝子群のうち、とりわけ興味深いのはTORC1(Target of rapamycin complex 1)栄養源センシングに関連したEGO1, EGO3, GTR1およびGTR2です。TORC1 は酵母の液胞膜上にあるSer/Thrキナーゼ複合体で、Tor1, Lst8およびKog1というサブユニットから成り、ヒトをはじめとする真核生物に広くホモログ(類似体)が存在します。ヒトにおいてmTORC1は、成長因子やインスリンの刺激を受けて活性化したり、細胞内のエネルギー(ATP)レベルを検知したりするといった大切な役割を果たしています。また、悪性脳腫瘍を含む多くのがんでmTORC1の異常活性化が確認されており、関連タンパク質の遺伝的疾患(先天異常)は、大脳皮質異常、てんかん、自閉症、あるいは結節性硬化症といったさまざまな疾患を引き起こすこともわかっています。


 細胞内にアミノ酸が十分あるときにはタンパク質合成を活性化し、細胞を増殖へと向かわせますが、アミノ酸が枯渇したときはタンパク質合成をやめ増殖を停止させます。当たり前のようですが、長年、細胞内アミノ酸濃度のセンシング機構は謎に包まれていました。最初に見いだされたのはTor1で、ラパマイシンという医療現場で用いられる免疫抑制剤のターゲットとして同定されました。そもそもなぜ免疫抑制剤という人間にしか投与することのない薬の効果を、酵母を用いて調べたのだろう?と疑問に思う方がおられるかもしれません。実はそこが酵母遺伝学の圧倒的な強みなのです。ヒトと酵母は細胞の基本的な構造や機能が驚くほど似ています。ヒトでは難しい薬剤ターゲットの同定や作用機作について、酵母を用いることでまず大まかに把握することができるのです。このことが、酵母がモデル生物としての確固たる地位を築いたゆえんです。酵母にラパマイシンを投与すると窒素源が枯渇したときとよく似た性質を示し、増殖停止とともにオートファジーという細胞内タンパク質の大規模な分解が誘導されます。ラパマイシンはFKBPというタンパク質に結合してTor1機能を阻害します。Ego1, Ego2, Ego3, Gtr1およびGtr2はEGO複合体(EGOC)を形成し、TORC1を液胞(動物ではリソソームと呼ばれており、細胞内タンパク質の分解を担う細胞内小器官)膜に係留するために不可欠です。これらが1つでも欠損すると酵母は著しい高圧感受性を示す [42]。しかも、前項で述べたEHG1などの欠損とは異なり、ロイシンをはじめとする栄養源を合成できたとしても、高圧増殖能は回復しません。従って、高圧下におけるTORC1の役割は、栄養源輸送体の維持以外にあると言えます。その役割は長年不明のまま残されていましたが、最近この問題が一気に解決へと向かいました。酵母を25 MPaで培養するとTORC1のリン酸化活性が上昇することが明らかとなったのです。EGOCを欠損するとこのリン酸化活性の上昇が見られなくなり、さらにPib2というタンパク質を欠損した株でも、やはり高圧下でTORC1のリン酸化は亢進しませんでした。実はPib2はグルタミンのセンサーとして既に同定されおり、筆者らはEGOCが欠損すると細胞内にグルタミンが異常蓄積することを見いだしていました。こうした事実をつなぎ合わせ、次のモデルを考えることができます。(1) 高圧下におかれた酵母の細胞内では何らかの理由でグルタミン濃度が上昇する。(2) グルタミンセンサーPib2がこれを検知し、TORC1を活性化する。(3) 活性化したTORC1はGln3という転写因子をリン酸化し、グルタミンの生合成にフィードバック阻害をかける。(4) この過程は、EGOCの働きによってTORC1が液胞膜に正常に係留されている場合にのみ達成される。結果として、高圧下で細胞内アミノ酸濃度の恒常性が維持されるというスキームです。25 MPaという圧力は、運動時にヒトの股関節にかかる最大圧力とされる18 MPaとそう違いません。ここに示した現象が軟骨細胞内にも見られるとしたら、ヒトのmTORC1が同様に高圧下のアミノ酸濃度の恒常性に寄与していることが期待されます。TORC1はヒトの発生やガン化にも関わる重要な研究対象ですが、“圧力”という物理的環境要因とその機能がリンクしている点が興味深いです。この成果はJournal of Cell Science誌に掲載され、エディターチョイスのResearch Highlightで、”Under pressure: there’s TORC1 in the yeast”としてフォーカスされました。